アメリカ空軍の航空機の中で一般の日本人に最も名前を知られている機体の一つである。一般的に昔であればB-29、ちょこっと昔ならB-52は、その辺のおばちゃんでも名前ぐらい知っていた。この2機種は、悪の権化のように言われ続けてきた爆撃機である。もちろんそう言われるにはそれなりの理由もあるが、戦後世代の私達にとっては、B-29は歴史上の機体であり、またB-52からは直接の被害を受けていないので恨みはない、マニアとしての憧れだけを持っていた。

  因みにわたしの両親は、2人ともB-29の爆撃を経験しており、子供の頃には良くその話を聞かされた。
親父は旧陸軍航空隊でパイロットの卵であった時、各務ヶ原の飛行場を爆撃に来たB-29の絨毯爆撃に遭遇している。B-29の編隊から落とされる爆弾を真下から見て、茄子が見る見る大きくなる様に見えたそうだ。其の茄子を見ながら、急いで車の運転席から飛び出し、側溝に飛び込んで運良く助かったが、別の車に乗っていた軍人は降りずに車で現場から退避しようとして亡くなったとの事。絨毯爆撃の真っ只中でも、窪地に入れば直撃弾でも食らわない限り死なないと言っていた(もちろん平地の場合)。また母親は九州の大牟田市で工場に学徒動員で向かう途中(工場で軍事物資の生産を学生が手伝っていた)、北九州方面に向かうB-29の大編隊を眺めていた時だったそうだ。地上から打ち上げられる緩慢な高射砲の1弾が偶々B-291機に命中した。其の機はきりもみしながら、機体がグチャグチャになって落ちてきたそうだ。普段はめったに高射砲など当らなかったので、周辺の人は大喜び、こ万万歳で周囲の人と共に「やったー、やったー!」と歓声を上げたそうだが、落とされた爆撃機編隊は黙っていなかった!その編隊の一群は北九州に向かう進路を突然変更!ゆっくりUターンをして戻って来たから大変な事になった。撃墜された仲間の仇とばかり、大牟田の田舎の工場群をメタメタに爆撃して帰って行ったそうである。多かれ少なかれ戦中を生きて来た人は、B-29に対し特別の思いを持っている。

 話が逸れてしまったが、B-52の方は同じ思いをベトナム人が持っている筈である。日本人はベトナム戦争以降、報道を通じてB-52を知っているだけで、沖縄の方以外身近にB-52を見たことのある人は少ないと思われる。私も写真を始めた頃はその一人であった。嘉手納に撮影に行く度、台風非難でグアム島からB-52Dが飛来しないかと期待したが、1度もチャンスに恵まれた事などなかった。後日、友人ゴメスさんとディビスモンサンAFBを訪れた時、柵の外からエンジンを吹かしている黒塗りのB-52Dを目撃、初めて見るB-52Dをファインダーに収めようとカメラを取り出したが、友人の強い制止でしぶしぶ諦めた事があった。そこは戦略航空軍団(SAC)の基地ではなかったが、70年代後半ぐらいまでSACの基地で撮影をしようものなら撃ち殺されても文句は言えないと云われていたので、友人が制止しようとする気持ちも理解できると言うものだ。しかし、それがB-52のD型との最初で最後の出会いとなった。80年代末期、冷戦が終わりアンダーセンAFBからもB-52の姿は消えるだろうと言われていて、もう日本では見ることも出来ないと諦めかけていた。都度、今年の横田のOHには展示される(かも?)との噂が流れたが、全く期待する事もなかった。ところが、その噂が突然現実になってしまったので驚くやら嬉しいやらで・・・・

 しかしながらOHで展示されたB-52の全景写真は、ろくな画像が残っていない。何しろデカイのである!デカイから写真に収まらないのではない。どうしても多数の見物人が機体といっしょに写ってしまうのだ。私は軍人など関係者が機体の周りにいるのは航空機だけの写真より、むしろリアリティがあって好きなのだが、見物の方が写っている写真には全く興味がないので、撮る気が失せてしまうのである。しかし、機体だけを撮る事など状況的に無理なものは無理であり、従って余り撮っている写真が無いのが現状である。前置きがすご〜く長くなったが、この項では日本を訪れたB-52G/Hを中心にご紹介したい。(2002/4/16 記)
60th BS/43rd BW
ベトナム戦争当時は、グァム島のアンダーセン空軍基地からは多くのB-52D/Gがハノイなどの爆撃行に向かった。第43爆撃航空団(43rd BW)は、1990年初頭まで米本土外の基地を拠点とした最後の爆撃機航空団だった。1989年8月の横田基地OHに突然訪れ航空ファンを驚かせたB-52G(58-0178)は、何とノーズアートに日本にも所縁の深いダグラス・マッカーサー将軍の顔と彼の退役時の演説の名言を老兵B-52にもじって書き込んであった。

第43爆撃航空団は、B-24から マッハ2を誇るB-58ハスラー爆撃機まで使ってきた重爆撃航空団であったが、グアムのアンダーセン空軍基地での海上警備任務の後は長い爆撃任務を解かれ、その後は給油専門そしてノースカロライナ州ホープ空軍基地で輸送航空団に変わっている。現在はインシグニアの中心にあった爆弾が無くなって、第43輸送航空団のインシグニアとして使われている。
Wings
Drews of 43th BW 
巡航ミサイル搭載の為の改装を受けなかった約70機のB-52Gには、通常爆撃としての能力が強化され、外部に兵装パイロンの各種施工、弾倉内の改装が行われた。またAGM-84ハープ−ン対艦ミサイル/機雷敷設の運用能力が付加され、元々持っている高い電子戦/索敵能力と相まってかなり強力な洋上哨戒機として期待された。
(1989)
(1989)
(1989)
(1989)
Nose Art ”Old Soldier” 
右翼に機雷/左翼にAGM-84
The post-Vietnam period brought a return to routine operations at Andersen, with the base remaining a vital overseas platform for carrying Strategic Air Command痴 global-deterrence mission. In October 1988, the host 43rd Bombardment Wing traded its nuclear-deterrent role for a conventional mission. One year later, the bomb wing began redeploying to stateside bases, and Andersen transitioned from SAC to Pacific Air Forces with the activation of the 633rd Air Base Wing. The 43rd BW was officially inactivated Sept. 30, 1990. 43rd Bombardment Wing, Andersen Air Force Base, Guam, were first tasked to perform the Harpoon mission..
93rd BWのB-52Gは、フェアチャイルドAFBに拠点を置く92th BWのB-52Gと同様、低視認性のダークグレー1色で塗られており、部隊マーク等もロービジ化されている。オープン・ハウスの当日は一般客にCockpitまで公開、かなり狭いスペースであると感じられた。
Wings
Wings
機首のマーキングの中に”Vietnam Veterans of America”の文字と旧南ベトナム政府の国旗をデザインしたものがある。機体の事かCrewに関連する事かは不明だが、ベトナム戦での捕虜や行方不明者を悼む意味が込められているのだろう。テキサス州の地図の中にメンテナンスクルーの名前が書かれていた。
Pacth "MORS AB ALTO"
7th BW . 61-0016
ボーイング707とほぼ同型のJ-57-P-43WBエンジン8基を主翼につけたB-52Gは、右翼端から左翼端まで56メートルもあり 相当距離をとらないと全景の撮影は難しい。コクピットからの視界は、高翼の為かなり良かった。
93rd BW . 57-6476
↓ 唯一全景が撮影で来たのは、午後に訪れた激しいスコールのお陰である。
観客が一斉に退避し、思わぬチャンスとなった。但し、写真としては殆ど全景が判るだけの証拠写真だ。
B-52が航空祭に飛来したのは横田基地だけではなかった。何と海軍基地である厚木基地にも1991年のOHに展示されたから驚いた。しかも、当時最新のH型である。テキサス州カッズウェル空軍基地の第7爆撃航空団所属(7th BW)のB-52Hで、この部隊がH型を受領したのは1982年、巡航ミサイルの搭載が可能な改修を受けている。
 翌年1990年の横田基地航空祭にも再びB-52Gが登場してくれた。今度はアメリカ本土の航空団、第93爆撃航空団所属(93rd BW)のG型で残念な事にノーズ・アートの類は一切なかった。93rd BWは、カルフォルニア州のほぼ中央にあるキャッスル空軍基地に所属し,SACで初めてB-52を受領した部隊として知られていた。
(1991)
(1991)
B-52's Page
Wings
(1990)
93th BWは1974年にG型への転換を終えた部隊で、B-52のH型も所有していた。カルフォルニア州マーチ空軍基地の第15航空軍傘下の3つのBWの1つであったが、後に国防予算の縮小により解隊され キャッスル空軍基地自体も基地閉鎖された。
(1990)
(1990)
Wings
Pacth "Buccaneers"
尾部のM-61バルカン砲。上の二つの膨らみは、左右を監視する火器管制用レーダー。
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